こんばんは てつをです
昨日は「この勉強いります!?なくしたほうがいい勉強トップ10 前編」について説明しましたね。
本当学校現場にはいらないものが多すぎるねん…。
本日のお話
今日は
「この勉強いります!?なくしたほうがいい勉強トップ10 後編」
それでは行きましょう!!
5位 調理実習(家庭科)
好きだった方も多いのではないでしょうか?私も調理実習好きでした。なぜなら
「おれら授業でご飯食べれるんだぞ~!!いいだろ~!!」
って他学年にマウントを取れるから
さて、なぜ不要かというと
内容が古すぎる
知識として身に付ける必要がない
という理由からです。
まず米の炊き方なんですけど、この中で普通の鍋で米炊いてるって方いますか?
「テーテッテ、テレレレレレテーテッテ トゥンZERO~」
いないっつうの!!みんな炊飯器でポチですわ!!
中には土鍋や無水調理で炊いている方もいるかもしれませんが、普通の鍋はいないだろ…
時代に全く即していないものを教えているので、徒労感が半端ないです。
あと、仮に鍋で炊くような状態になったとしても、ググれば良くないですか?
知識として身に付けるよりも、それの調べ方とかを教えたほうがいいと思うんですよね。
あとみそ汁作るとき、頭とはらわたを取って、煮干しから直接出汁とってる方います?
「テーテッテ、テレレレレレテーテッテ トゥンZERO~」
いないっつうの!!みんな顆粒だしをササーですわ!!
いつまで学校の先生に煮干しの頭と、はらわたをとらせるんだ!!
だいたい人気のラーメン屋でも頭とはらわたとってないだろ。
それがあったほうが煮干し感がでて俺は好きだぞ。ラーメン屋の方コメントで教えてください。
家庭科ではやってることが前時代的といいますか…
覚える必要がないことまで授業にしなくてもいいのかな~なんて思っているてつをです。
4位 絵画指導(図画工作)
4位は絵画指導です。個人的には
図画工作の時間(音楽も)はめっちゃ大事!!
と思っている派の人間です。
それは子供の可能性を広げるし、子どものちょっとしたリラックスタイムにもなるから。
さらには図工は(音楽も)世界とつながることができる教科だから。
正直、国語とか日本史とか勉強しても、外国の方々とつながるのは難しいかもしれない。
しかし、美しい絵を見て(美しい音楽を聴いて)感動する心は、世界中どこでも一緒だと思います。
そういう意味で、図工と音楽は
世界とつながり、世界を平和にするために
絶対必要な時間だと思います。
ただ、絵画指導に関して言えば
絵を描かせ杉内。
なんか図工の時間って、一年の半分くらい絵を描いてません!?しかも
その担任の好みに寄せるために指導を受けたり
コンクールで入賞するための絵を描かされたり
なんか可能性をつぶしている気がするんだよな~。
「授業だから、きちんと指導はしなきゃいけないでしょ。」
的なことをいう先生もいるんだけど、おれは正直何も教えられん。
社会が専門だった僕は、大学の講義では絵の描かせ方なんて習わない。だったら
図工専門の先生が指導すべきだし
その担任の好みで指導してはいけない
とも思います。みなさん「いい絵」って何ですか?この答えってみなさん一致します?しませんよね?
だったら、その担任の好みでいい絵かどうかを決めるのはナンセンスだと思います。
そういう意味で、絵画指導は
時間のかけ方を変えたり
指導の仕方を変えたり
しないといけないと思っています。
3位 合唱・歌唱指導(音楽)
皆さんは音楽室にある楽器、全て触ったことありますか?
きっとない人がほとんどなんじゃないかなと思います。
学期触らずに何してました?
そう。合唱ですよね!!
これも4位の図工と一緒なのですが、音楽の時間はマジ大事!!とおもっています。
ただ、合唱・歌唱指導に時間かけすぎぃ…
1年の半分ぐらい歌うたってません!?
合唱は感動的だと思うし、卒業式なんか涙ちょちょぎれちゃうんだけど、かけた時間以上の成果ありますか?
「合唱コンクールや卒業式の歌を聞いたら、感動するじゃないか!!何言ってんだ!!」
という声もあると思うのですが、それって感動したい教師側の都合でしょ?
「合唱やりたい!!学校祭で歌わして!!」
って子供が言ったなら、全然いいと思うんですが
「今年の合唱曲は○○です。さあ練習しましょう。」
って教師側から与えて歌唱指導する授業に、何か意味はあるのかな~?って感じています。
それで合唱の時間だけひたすらとられて、
なぜか学級活動の時間が合唱タイムになるじゃないですか。
しまいには朝の学活とか帰りの学活とかもやりはじめて、何時間もかけるじゃないですか!!
しかもそういうのは大体、単発のものになりがち。
学校祭の合唱を通して、音楽の楽しさに目覚めて合唱や音楽関係の可能性が広がった人を、私はみたことがありません。
学級で一つのものを作ったという経験に価値がないとは言いませんが、それは合唱でなくてもよくない?
ダンスだっていいし、太鼓やったっていいし、欽ちゃんの仮装大賞的なことでもいいと思います。
私は、音楽や合唱自体は好きですよ?
でもかけた時間ぶんに、子どもの可能性が広がっているかというとちょっと疑問ですね。
だったら楽器を触らして
「ハンバーグ師匠の楽器ってヴィブラスラップっていうんだ~!」
っていう知的好奇心を刺激したほうがいいのかなって思っています。
2位 マット運動・跳び箱・鉄棒(体育)
はい。なんでマット運動と飛び箱ってかならずやらなきゃいけないんですかね?
「マット運動や飛び箱、鉄棒を大人になった今でもやっているよ~って人。手をあげて~!!」
「は~い!!!」
「はい。学校の先生たち手をおろしてください。」
マジで学校の先生しかやらないんですよ!!
体操という文化を伝える目的でやるのはいいんですが、毎年やる必要あります!?
そもそも体育の目的って
「運動の楽しさを伝えて、生涯にわたって運動をする素地を養うこと。」
だと思うんですが
「できた」「できない」
という部分だけが先行している気がするんですよね。
それよりもいろんなスポーツに触れさせたり、運動ができない子でも楽しめる運動をすべきだと思うんです。
ボッチャやブラインドサッカーなど、パラスポーツをやらせるのもすごくいいと思います。
「できる喜びを与えるのも体育で大切なことだ!!」
「おっしゃる通りです。ただ最後までできなかった子はどうするんですかね?」
「うぐぐ…」
私は「できなくても楽しい!」ってなる運動をするべきだと思っているので、みんなでワイワイやる体育がいいのかなって思っています。
1位 漢字の書き取り(国語)
これはすごく批判が来そうですが、あえて言わせてもらうと
「マジで漢字の書き取りいらない」
まあ正しい思いをいうと
「漢字の書き取りができていることに、そこまで重きを置かなくてもよい。」
っていうのが本音です。
読みはめっちゃ大事だと思いますよ?読めなきゃ意思疎通に時間がかかって困るから。
例えば「憂鬱」っていう漢字って読める人は多いけど、書ける人少ないですよね。書けなくて何か困りますか?特に困りませんよね?
もし手で書かなきゃいけない状況になったら、最悪調べればよくないですか?
そう考えると、手で書ける必要あります?
パソコン・タブレット・スマホ
などで仕事がどんどん進んでいく時代に、手書きをできるようにする意味があるのかな?って感じです。
「書けないと恥ずかしいよ~。」
みたいなことを言う方もいるかもしれませんが、この発言自体が日本語教育の弊害だと思っています。
漢字の書き取りに重きを置きすぎて
「漢字を書けない人が恥ずかしい」
みたいな社会を作っちゃってるわけじゃないですか?
それよりも
「手で書けなくてもいいから、みんなが読みやすい文章を作ってくれ」
っていうほうが大事なのかなって思っています。
エンタメや趣味として、漢字を書けるようにすることはとてもいいことだと思います。
自分も漢検の勉強とかしてますし。
ただ、義務教育でする量は最低限でいいのかなって思います。
本日のまとめ
今日は
「この勉強いります!?なくしたほうがいい勉強トップ10 後編」
というテーマでお話ししました。昨日の順位も含めると
1位 漢字の書き取り(国語)
2位 マット運動・跳び箱(体育)
3位 合唱・歌唱指導(音楽)
4位 絵画指導(図画工作)
5位 調理実習(家庭科)
6位 言語に関する教育(国語)
7位 そろばん(算数)
8位 バケツ稲(総合)
9位 洗濯(家庭科)
10位 ~のくらし(社会)
皆さんが少しでも
「ああ~わかるそれ!!俺もめっちゃ思ってた!!」
「そう言われると、たしかにいらんかもな…」
っていう共感や再考のきっかけになればうれしいです。
次回は「研究授業」というテーマで話をします。
今日で19日つづいたんだなあ てつを
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